学生の本分は勉強です!


発達心理学特殊講義という授業をとっているのですが、先日授業のあと先生のところに行って、
「私、4年なんでレポートを早めに提出しないといけないと思うんですけど?」
と聞いたところ、
「それじゃあなんか書いてきて」
とのこと。


「何を書けばいいんですか?」
「そうねー、じゃあ授業で扱ったことに関係あることで興味があることについてレポートしてきて」


なんてアバウトな。
それならいっそもう出さなくていいですか?と思ったけど口に出さず。その締め切りが明日に迫っています。
現在文字カウント0文字です。
今から夜を徹して書きます。


この授業では、自閉症ADHDアスペルガーの子どもの症例や支援について扱っていたのですが、時間割が変更になった関係で受講者が数人だったため授業も計画性の薄いアバウトなものでした。
却って楽しかったけど。


私は、「障害を持った子どもを持つ親を支えているもの」について書いてみたいと思います。
直接授業でやったわけではないんだけど。


昔と比べて、障害については理解されるようになってきたし(昔:自閉症…親の子育ての仕方によるもの→今:生物学的要因。etc)、学校への指導なんかも変わっているけれど、やっぱりそれと、実際に親としてその子どもとつきあうこととは違うと思う。


産まれてくる子どもに望むことは親によって違うだろうし、産まれてきてくれればそれでいい、と思う人も、健康であればそれでいい、と思う人も、将来は医者か弁護士になってお母さんに楽させてほしいわー、と思う人もいるでしょう。


いつだったかの授業で、先生に質問を求められ、もともと発達心理学が専門ではない私は、
「この子どもたちはどこを目指せばいいんですか?」という質問をした。
親はなんとか(一般に言うところの)普通の子どもに追いつくように最初育てようとするけれど(多くの場合はね)、一般的な成長を辿らせることを目的とするべきじゃないというような話があったので。
先生の答えは、
「具体的なレベルでいえば将来作業所で働けるようになったらいいほう」というものでした。


なんとなくそれを聞いてショックを受けてしまったことが今回のテーマを選んだ理由です。


私はきっと子どもができたならその子にいろんなものを求めるだろうと思う。産まれてくる前から。
ピアノは絶対やらせたい、とか、箸はうまく使えなくちゃね、とか、将来スポーツ選手になっちゃったりなんかしたらどうしよー、とか、そんな希望が最初から叶わないことがわかってしまったら、私は絶望してしまわないだろうか。
もしくは、1年産休をとってあとはばりばり働くわ、と自分のその後のライフコースを思い描いていたとしたら。


勿論子どもは親の思ったとおりには育たないし、神経質になりすぎたり押し付けすぎたりするのはどちらにせよ間違っているだろう。
ハンディキャップをもった子どもの成長は、そうでない子どもの成長と劣っているとかではなく、それ自体がひとつの成長の形であって、それを受け入れることでその子どもの一つ一つの進歩や成長の過程を何よりも喜べる。


ただし、それはテキストに書いてあることであって、私が心からはその回答に納得していないんだろう。
その溝を埋めたくてレポートを書いています。


回答は見つからなくともレポートだけは提出せねば。
当面の課題は卒業することですから。哀しいことに。