人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない。

パイロットフィッシュ



って、私が考えたんじゃないよ。
大崎善生さんが言ってるの。


読了
パイロットフィッシュ」(大崎善生


宣言通り*1、「孤独か、それに等しいもの」に続いて二冊目を読みました。


本の感想を書くのは苦手だ。批評や分析などとんでもない。いつも本を読んで何か感想を書こうと努力しているけれど、結局何も言えていないので、これからは「読書印象文」だ、と開き直って記録していきます。


これは人が出会ったり別れたりするお話。
そして、それってどうゆうこと?というお話。きっと。
人との付き合いは、199○年〜200○年みたいに、帯で、期間で、括ってしまえないで、目の前からいなくなっても記憶が付き合いを続けていく。だからその人の欄はいつまでも199○年〜としか表記されていない。
白紙に戻してしまえない。出逢った人たちが上から次々に重ねられて、一見それとわからなくなっていくだけ。

「スパゲティーを食べるとき、僕は今でもスプーンの上でクルクルして音を立てないようにしているし、煙草が切れても絶対に灰皿のシケモクは拾わない。何故かわかる?」

「うーん」

「それはね、君がいやがるからだよ」

「私がいやがる?」

「そう。そうやってね別れて十九年たって一度も声さえも聞いたことがなかったのに、僕は今でも確実に影響を受けているんだ。それももの凄く具体的なことで今でも君は僕の行動を制約している。だから僕は今でも人前でチューインガムは噛まない」

小学生のとき好きだった男の子が「煙草を吸うやつの気が知れない。自分は絶対吸わない」と言っていた。彼は医者になりたいと言っていた。
私も「全くその通りだ」と思って、煙草を吸う人を嫌っていた。
高校生になって、彼が煙草を吸うと人づてに聞いて、とても悲しかった。今までいっしょに持ってきたものを気づいたら手放されてしまっていた気がして、不当に傷ついた。


そんな私の携行品に、今では煙草も含まれている。